「佐々木忍者」という伝説の始まり
プロラボホールディングスといえば、今や治療院業界でも広く知られる健康系企業グループ。国内14社・海外2社、グループ年商約100億円にまで成長したこの会社を率いるのが、佐々木広行会長です。
しかしその佐々木会長、実は幼少期からただ者ではありませんでした。
育ったのは川崎市・宮前区の団地。3歳のころから1人で外に出ては、200世帯ある棟を1軒1軒ピンポンして回り、「佐々木忍者だ!」と自己主張して歩いたというのです。売るものも目的も何もない、ただ自分を主張したかった――これが会長の原点でした。
その後も4歳で高校生の後ろから放尿、幼稚園バスの運転手に後ろから目隠しするなど、「やらかし」エピソードには事欠きません。傍から見ればただの問題児ですが、今思えばそのすべてに「なんとか注目されたい、インパクトを残したい」という強烈な自己表現欲求が詰まっていました。
セコムで「売れない営業マン」に転落
高校・大学を経て就職したのは、当時まだベンチャーだったセコム。3歳から1日200件の飛び込み訪問をこなしていた「忍者」が、なんと営業で全く結果を出せなかったのです。
知らない人に断られる恐怖に打ちのめされ、公園で昼寝をしたり喫茶店でサボったりする日々。小遣いは1日500円、富士そばとUCCコーヒーで1日が終わる生活が続きました。
幼少期に培った「根拠のない自信」は影を潜め、23歳から27歳ごろまで、自他ともに認める「ダメダメな営業マン」として時間を過ごしました。
30歳で独立、しかし事業はことごとく失敗
「30歳までには絶対独立する」と周囲に宣言していた手前、売れない営業マンのまま起業するわけにはいかない――そんな根拠なき使命感から、30歳で会社を設立します。
最初の事業は、地域の習い事教室と受講希望者をつなぐ「生涯学習フリーペーパー」。川崎市の創業支援制度で市長の認定を受け、1,100万円の融資を獲得しました。ところが結果はあえなく失敗。
その後も35歳ごろまでに約10の事業を立ち上げましたが、全て失敗に終わりました。
折り込みチラシ制作業で20人規模のスタッフを抱えるまでになったものの、売上より支出が常に上回る体質から抜け出せず、最終的に有利子負債は4億円にまで膨らみます。年商を超える負債を抱えた佐々木会長は、毎晩2時・3時に帰宅し、焼酎「鍛高譚」2本をストレートで飲み干さなければ眠れない日々を過ごしました。
どん底で気づいた「原因は全部自分の中にある」
破産だけはしたくない。その一心で本をむさぼり読んでいた会長が、37〜38歳のころにある境地に達します。
それは「うまくいかない原因は、銀行でも社員でもなく、全部自分の中にある」という気づきでした。
稲盛和夫氏や松下幸之助氏の著作に触れる中で、「誰のために、何のために仕事をするのか」という問いが少しずつ重みを増していきます。そして39歳のとき、3種類のハーブティーの開発をきっかけに、広告事業からヘルスケアメーカーへの転換を決断。2008年には収益が出ていたにもかかわらず、広告事業を一切やめるという「捨てる勇気」を実行しました。
プロラボホールディングス誕生と「人類の健康寿命延伸」という使命
「インナービューティ」という概念を軸に、腸に良いものを取り入れ・悪いものを排除し・ファスティングで出すという健康哲学を事業の柱に据えたプロラボホールディングスは、現在23期目を迎えます。グループ社員は300名超、年商は海外含めて100億円規模にまで成長しました。
**「人類の健康寿命の延伸に世界一貢献できる企業を目指す」**というビジョンのもと、治療院業界への展開をはじめ、一般ユーザーへのリーチも広げています。
まとめ:3歳の忍者が教えてくれること
3歳で1日200件のピンポン訪問から始まり、借金4億円のどん底を経て、年商100億円企業の会長へ――佐々木広行氏の歩みは、失敗と挫折の連続です。
しかしその軌跡から浮かび上がるのは、「諦めないこと」「原因を自分に求めること」「捨てて絞ること」という3つの教訓ではないでしょうか。
佐々木忍者は消えていたわけではなく、ずっとそこにいたのかもしれません。
株式会社プロラボ ホールディングス|代表取締役社長
佐々木 広行 公式サイト
インナービューティーから人類の健康寿命延伸へ。エステプロ・ラボ創業者の活動記録。
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